喫茶去とはどんな意味【真筆】茶掛け 喫茶去◆天龍寺 管長 平田精耕 共箱・タトウ箱付
■画 題■ 「茶掛け 喫茶去◆天龍寺 管長 平田精耕」
■寸 法■ (約)幅 72cm× 丈 129cm・軸先寸
本紙・表装とも良い状態です。桐箱に若干のシミあり。
こちらの茶掛け 喫茶去は、天龍寺 管長 平田精耕 老師の真筆、揮毫されたものでございます。
軸先:樹脂。 紙本:墨書。 箱書、落款があります。 共箱、タトウ箱付。
関防印は、臨済正宗 です。
~喫茶去(きっさこ)とはどんな意味?~
「喫茶去」の三字は「趙州(じょうしゅう)喫茶去」の公案から出たもので、茶人に最もなじみの深いもので、
それだけに一行物などによく見かける語です。
この語の意味はどういうことでしょうか。
喫茶去の「去」の一字は、ここでは「去る」という意味ではなくて、意味を強める助辞です。
したがって「喫茶去」とは「お茶をおあがり」という意味です。
「喫茶去」はわずか三字であり、「まあ、お茶を一服おあがり」というさりげない一語ですが、まことに茶道の妙諦を示した有り難い一語です。
■略 歴■ 平田精耕(ひらた せいこう)
号 祖翁
1924年 京都府生まれ。
京都大学文学部哲学科卒。
本田善英にインド哲学、久松真一に仏教学を学ぶ。
1950年 天龍僧堂に掛錫、関 牧翁 老師に参じる。
1971年 天龍僧堂師家。花園大学教授。
1989年 禅文化研究所理事長・所長。
1991年2月 関 牧翁 老師 遷化により、天龍寺派 管長・天龍寺 住職。
1992年 花園大学教授 退任。名誉教授。
2008年1月9日 遷化。83歳。
【天龍寺とは】
足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、
その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建されました。
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進しましたが、なお造営費用には足りず、
直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、
その利益を造営費用に充てることを計画しました。
これが「天龍寺船」の始まりです。
造営費の捻出に成功した天龍寺は康永4年(1345)に落慶しました。
南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続いています。
喫茶去とはどんな意味【真筆】茶掛け 喫茶去◆天龍寺 管長 平田精耕 共箱・タトウ箱付